【映画から台湾を知る】台湾映画の名作「海角七号」で描かれる台湾と日本
こんにちは。もちだもじです。
「台湾の歴史から台湾を知ること」をテーマとしている本稿ですが、台湾映画には台湾の歴史を題材にしたものも非常に多いということをご存知でしょうか。
映画というものは一種の娯楽作品であると同時に、制作当時の社会状況や制作者、あるいはその観客の主義・思想が色濃く反映されるものでもあります。
そんな台湾映画の代表作のひとつが、台湾では 2008 年、日本では 2009 年に公開された**魏徳聖監督の「海角七号」**です。
実は本作、僕が大学 1 年生で初めて観てから、今日まで 8 年間も台湾にのめり込むきっかけとなった、非常に思い入れの深い作品でもあります。
娯楽として観て面白いかは意見が分かれるところですが、台湾の歴史や現代の台湾社会を知る上では最高の作品で、僕もその後大学の卒業論文を「海角七号」で書いたほどです。
ということで、今回は台湾映画の名作と呼ばれる「海角七号」を紹介するとともに、本作の裏で描かれるメッセージを僕なりに読み取っていこうと思います。
▼ 主演を務める范逸臣
海角七号って?
2008 年に台湾で公開された魏徳聖監督「海角七号」は、台湾映画界の巨匠である侯孝賢から絶賛され、口コミで台湾全土に大ブームを起こした超話題作です。 台湾映画界では異例の5 億 3 千億台湾ドルの興行成績を売り上げ、約 2 か月の間、観客動員数で第一位を保持、興行成績では台湾映画として史上最高、外国映画を含めてもタイタニックに次ぐ第二位を記録し、衰退し続けていた台湾映画に再び注目を集めました。
台湾人歌手の范逸臣と日本人モデルの田中千絵が主演を務め、成績だけでなく、日台関係や台湾映画、台湾のエスニシティなど様々な方面で歴史的な改革を起こした作品であるとも言えます。
「台湾金馬賞」「ハワイ国際映画祭」「台北映画祭」などで数多くの賞を獲得したほか、登場人物の一人・茂伯(林宗仁)の**「我是國寶捏(ワシは国宝だぞ)」**というセリフが流行語になるなど、映画界での成績以外にも、庶民の生活にも深く浸透した映画でした。
▼ 国宝を自称する茂伯(一番右)
「海角七号」のあらすじ
「海角七号」について、簡単にストーリーを紹介しましょう。
「海角七号」では 60 年前の物語と、現在の物語が同時に進行していきます。
物語は、台湾から日本への引揚船の場面から始まります。第二次世界大戦で敗戦した日本は植民地・台湾を失い、台湾にいた日本人は次々と日本に引揚げていきます。日本人歌手の中孝介演じる日本人教師(小説版では栗原敏雄という)もその一人であり、彼は恋人であり元教え子の台湾人と一緒に日本に帰る約束をするものの、直前で怖くなり一人で引揚船に乗って日本に帰ってしまうのでした。
栗原は船の上で教え子に向けて 7 通の手紙を書きますが、手紙を出せないまま 60 年後に他界、その後娘によって手紙は「海角七号」という日本統治時代の教え子の住所に向けて送られることになります。
▼ 教え子役を務めたレイチェル・リャンは「あの頃、君を追いかけた」で主演を務めた
60 年後(つまり現在)の台湾最南端の田舎町・恒春では、町おこしのための日本人歌手・中孝介のライブコンサートで演奏する前座バンドのメンバーオーディションが実施されていました。売れない日本人モデル友子(田中千絵。小説版では遠藤友子という)は前座バンドのマネージャーを任されるものの、彼女はボーカルで郵便配達員の阿嘉(范逸臣)をはじめとしたバンドメンバーと衝突し、ストレスを募らせていきます。
その不満が爆発して日本に逃げ帰ろうとする友子でしたが、偶然誘われた結婚式の披露宴で酔いつぶれ、介抱した阿嘉と一晩を過ごすことになります。翌朝阿嘉の部屋で、宛先不明の 7 通のラブレターを見つけた友子は、それを必ず届けるよう阿嘉に伝えて部屋を後にします。
コンサート当日にやっとラブレターの宛先の住所を見つけることができた友子が阿嘉に、翌日自分が日本に帰らなければならないことを告げると、阿嘉は 7 通のラブレターを老人になった日本人教師の元教え子に届け、会場に戻ると友子を抱きしめて台湾に残るよう引き留めます。
その後メンバーは、会場全体を一つにしてコンサートを成功させるのでした。
▼ クライマックスのコンサートの様子
つまり「日本統治時代に叶わなかった日本人教師と台湾人の教え子の恋を、60 年の時を超えて、台湾人男性と日本人女性が成就させる」というのが、この物語の本流です。
しかし、本作がこれほど熱狂的な人気を誇るのは、単純にストーリーの展開によるものだけではありません。
というかむしろ、物語としては「町おこしバンドが苦労を乗り越えて成功し、ちょっとした恋愛も起こる」という、ありふれた内容でしかありません。
では、そんなどこにでもあるような物語が、なぜ台湾の人々の心を掴んだのでしょうか。
▼60 年の時を超えた日本人教師の手紙
強調される台湾らしさ
「海角七号」の人気の最大の理由は、台湾の人々の生活に溶け込んだ「台湾らしさ」を前面に押し出したことであると言われます。
物語の舞台は台湾南部の大都市・高雄から、高速バスでさらに 2 時間半ほど南下したところにある、台湾最南端の田舎町・恒春。 日本統治時代から国民党政権、そして現在まで、最大の都市とされてきた北部の台北から最も遠い場所に位置し、**「最も台湾らしさが残る町」**と言われています。
まず注目すべきは、劇中で用いられる言語です。
日本人である僕たちにとって、日本映画では日本語が、ハリウッド映画なら英語が使われるというのが、一般的な感覚でしょう。 ただし多民族社会の台湾においては、誰しもが普段から標準的な中国語(北京語)を使用しているわけではなく、中国語、台湾語、客家語、原住民語など、複数の言語を使い分けて生活しています。
例えば初めて話す人とは中国語、近所の住民と話すときは台湾語などのように、相手や場面、自身が使える言語によって使い分けるのです。 (戦後に中国大陸から台湾に移民してきた「外省人」と呼ばれる人々には、台湾語を話せない人も多いのですが、外省人の政治家は「地域密着」をアピールするため、わざわざ台湾語を勉強して街頭スピーチを行うこともあるようです)
恒春を含め、台湾南部で多く用いられるのは、中国語ではなく台湾語(閩南語)です。そして「海角七号」の劇中でも、恒春の人々同士の会話は台湾語によってなされています。 そこに中国語や日本語が混じり、さらにそれが自然に切り替わることで、台湾らしい生活風景を劇中に再現することに成功したのだと言えます。
▼ ヒロインの友子も「台湾語は分からない!」と怒っています
また多民族社会という点に関しても、「海角七号」では十分に強調されています。
バンドメンバーである登場人物には、人口の大半を占めるホーロー人、大陸南部や台湾に多く居住する客家人、古代から台湾に住む原住民など様々なルーツを持つ人々が含まれています。
加えてこれらの役を演じる役者のルーツまで見ていくと、主人公の阿嘉を演じる范逸臣は原住民のアミ族、60 年前の教え子を演じるレイチェル・リャンは同じく原住民のルカイ族とタイヤル族のハーフ、原住民警察の労馬を演じた民雄はパイワン族の出身と、台湾独特の原住民という要素を多分に含んだキャストとなっています。
こうした様々なルーツを持つ登場人物が、衝突しながらも最後には協力してライブを成功させるという構図が、外から見ているだけでは分からない「リアルな台湾社会」を描き、民族の壁を越えた一体感を演出したことが、「海角七号」が台湾の住民に受け入れられた理由の一つだったのでしょう。
▼ 台湾人らしさの代表格と言われる町議会議長役の馬如龍
世代間の記憶の橋渡し
台湾には民族の違いの他にも、世代ごとの歴史観が大きく異なっていると言われます。
現在の 80 歳以上の高齢者は日本統治時代に日本による日本語教育を受けた世代で、比較的日本に対して親しみを覚えることが多いようですが、その子である戦後生まれの世代は、中国大陸から渡ってきた蒋介石率いる国民党により中国化・脱日本化の教育を受けた世代のため、日本統治時代に関しては否定的である場合も多いとされます。
そしてさらにその後、現在の現役世代・若者世代は日本のサブカルチャーや芸能情報に常に触れ続けてきた第三~第四世代であり、歴史的な体験はしていないけれども日本に対する文化的親近感を感じるとされる世代です。
また価値観だけでなく、戦前の世代は日本語と台湾語、戦後世代は中国語というように使用する言語も異なっているため、異なる世代間では意思の疎通すらできないことがあるという背景もあります。 (もちろん全員がそうではなく、傾向としての問題です)
そうした台湾の人々に対し、「海角七号」は「60 年前」と「現代」という 2 つの時間軸から、若者世代が体験していない「日本統治時代」をキーワードとしつつも、「音楽」と「恋愛」という若者に受け入れられやすい題材に物語を展開したことにより、同じ価値観や歴史観を持てない、台湾の異なる世代を繋ぐ架け橋になったと言うことができます。
▼ 登場人物も本作を機に人気になりました
日本との関係性の再構築
「海角七号」を語る上で忘れてはならないのが、台湾と日本との関係です。
本作はあくまで娯楽映画としての側面を持っているため、劇中を通して日台関係に直接的な言及がされるわけではありませんが、過去に日台関係を描いた文学や映画での表象に共通する法則から読み解いていくと、その裏側に隠された意図が朧に見えてきます。
過去の作品において、日台関係を描いたものは非常に多くありますが、その大多数においては、日本人が力を持ち、台湾人はそれに従わざるを得ない弱い存在でした(例:経営者と新聞配達員など)。 また登場人物として見ても、日本人は男性、台湾人は女性として描かれることが多く、強い日本と弱い台湾という描かれ方が一般的でした。 (そして日本人男性は、作中でしばしば台湾人女性を見捨てるのですが、これは敗戦により日本人が台湾から去ったことを表現していると言われます)
しかし「海角七号」では、この法則を見事に逆転させています。
「海角七号」における主人公は台湾人である阿嘉、ヒロインは日本人女性である友子です。阿嘉は友子と衝突しながらも恋をし、最後には日本に帰らなければならない友子を抱きしめて引き留めます。
一方で 60 年前のシーンでは、男性である日本人教師は、恋愛関係にあった教え子の台湾人女性を見捨て、自分だけ密かに引揚船に乗って日本に帰ってしまいます。こちらのシーンは、これまでに散々描かれてきた「見捨てる日本人男性と捨てられる台湾人女性」という構図をそのまま踏襲しています。
つまり、これまでずっと弱い立場で描かれてきた台湾は、「海角七号」の中で初めて日本より強い立場となることができたことを意味しているとも言えます。また 60 年前の日本(の男性)ができなかった恋の成就を、現在の台湾(の男性)が成し遂げたということも表しています。
▼ 田中千絵を抱きしめる范逸臣
もう一つ例を挙げると、クライマックスで主人公たちの前座バンドが、日本人歌手・中孝介(本人)と共演する場面があります。
主人公の阿嘉がステージ上で歌っているところに、ステージ脇からマイクを持った中孝介が一緒に歌い寄りながら歩み寄るのですが、阿嘉たちは無名の地元バンド、対して中孝介は台湾でも大人気の有名歌手。
阿嘉は中孝介にステージの中央を譲り、自らはステージの端へ退こうとします。 (本当は阿嘉役の范逸臣も台湾では有名歌手なのですが)
その際、中孝介は阿嘉の背中を叩き、一緒に真ん中で歌うことを提案します。
これは言い換えれば、有名歌手である中孝介(=日本)が阿嘉(=台湾)と対等の立場でステージに上がろうとした、と見ることもできます。つまり日本が台湾を対等に扱った、ということを意味します。
これらのことから読み取っていくと、「海角七号」で描かれる日本と台湾の関係は、ほぼ対等、或いは若干台湾のほうが上に描かれているように思われます。
▼「野ばら」を歌う中孝介(左)と范逸臣(右)
「海角七号」の評価と作品に込められたメッセージ
台湾における本作の評価が概ね非常に高いものであったことは前述のとおりですが、まず本作を観て驚くことは、劇中を通して植民化される側であった台湾人の視点として「日本統治時代」が全くネガティブなものとして描かれていないことです。
普通、第二次世界大戦や植民地をテーマとした現代の作品には、戦争の悲惨さや当時の支配者への痛烈な批判が込められるものが多いかと思います。
しかし本作では、教え子の台湾人女性を「見捨てた」日本人教師は描かれていても、そのシーンは甘美な音楽とノスタルジックなナレーションに合わせて語られているために、日本統治時代を批判しているようには全く見えません。
この特異な描かれ方は台湾や日本で多くの台湾研究家が論文で取り上げているところですが、日本の映画サイトや、特にいわゆる「右寄り」な方々は、この日本統治時代への描き方を「日本超好き好き映画」「日本への強烈なラブコール」などと歓迎しているようです。
また一方で、戦前の日本統治に批判的な中国本土の学者たちは、「海角七号は『媚日』作品である」とかなり強烈に批判しています。
それぞれ評価は真逆でも、本作を「台湾から日本へのメッセージ」と捉えているのは共通しています。
このように、様々な立場の人々が様々な視点で「海角七号」を「親日作品」として、魏徳聖監督を「親日映画監督」として語っているのは事実です。しかし僕には、この映画が「親日」か「反日」か、という二択の中で論じられているとは、とても思えません。
これまで見てきた通り、「海角七号」ではバラバラだった台湾人を一つにする「台湾らしさ」が随所で強調されており、日台関係についても、植民支配した日本を非難する描き方はしない代わりに、決して日本に媚びるような描き方もされていないからです。
▼ ノスタルジックな雰囲気に包まれる日本人教師のシーン
日本統治時代を批判的に描いていない、というのは確かではありますが、「批判的じゃないから肯定的」と捉えるのは非常に危険なことだと思います。 (例えば一般的な恋愛に喩えてみると、「嫌いじゃないなら好き」という解釈の仕方ははある意味ホラーですよね 笑)
▼ 魏徳聖監督が特に力を入れたという引揚のシーン
では魏徳聖監督が「海角七号」を通して伝えたかったのは、誰に対するメッセージなのか。
僕自身の意見としては「自分たち台湾人に対して」伝えたかったのだと思います。
中国大陸とも違う日本統治時期という特異な歴史を持ち、様々な言語・民族が混在する台湾は、もう日本に劣るだけの台湾ではない。
植民統治した日本を非難したり、日本に媚びたりするのではなく、歴史を見つめ、「台湾らしさ」を大切にして未来に向かっていこう。
他の誰でもなく台湾を励まし鼓舞する、そんな前向きなメッセージが本作に込められているのだと、僕は思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
ともかく本作を観てみないと何とも言えないかもしれませんが、日本との歴史的関係をキーワードに、台湾らしい魅力がたくさん詰まっていることが少しでも伝われば幸いに思います。
「海角七号」の記録的な興行成績の背景には、公開当時アメリカ脚本家組合のストライキのためハリウッドの映画供給が減っていたこと、台湾人メジャーリーガー王健民が故障中であったこと、北京オリンピックの野球で台湾が中国に敗北したこと、二つの台風が同時に襲来し、学校や職場が休みになったものの、実際の被害が少なかったことなど、作品とは全く関係ない外的要因も挙げられています。
また本稿で取り上げた見方がすべて正しいとは思いません。
「海角七号」以降、魏徳聖監督は本作と一見逆行するような、日本統治時代の日本軍と原住民の血なまぐさい戦いを描いた「セデック・バレ」が公開されています。
「セデック・バレ」では日本統治時代の日本人の残虐さ、狡猾さが前面に表わされており、それらの作品とも併せて考えることも必要になるかもしれません。
多くの魅力と様々な側面を持つ台湾を知るための一助として、ぜひ一度、「海角七号」をご覧になってはいかがでしょうか。
(それにしても、映画を紹介するのって本当に難しいなあ……)